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お祭りとはなんだろう。
いつも考えていたこと、けれど改めて言葉にはしなかったこと。

「鼓舞」は、震災後初めて生まれた「お祭り」だ。
味噌作胴囃子愛好連
伊達の黒船太鼓
雄勝法印神楽
の3つの芸能の団体が主催している。
発起人は、雄勝法印神楽の神楽師であり店子屋洸洋のおやじ、上山さんだ。
お祭りってさあ!
上山さんと飲んでいたとき聞かせてもらった。
非常に印象的な言葉だった、僕はお祭りの本来の姿に触れた気がした。
「お祭りってさあ、今回の震災のように何か大きな出来事があってその後の鎮魂の意味とか、ばらばらになった心をもう一度一つにする意味とか、そうやって始まるものなんだと思う。
今回の震災で雄勝で生まれるお祭り、それが鼓舞なんだ。ここにある芸能の力でどれだけの人が帰って来てくれるか。雄勝をもう一度思い出してくれるか。
芸能は人のよりどころでなくちゃいけない。いつもそばにあるものなんだよ。
だから、お祭りやるんだ。」
今回のお祭りは、意味が違う。
雄勝の町と人の営みの中で生まれて来た新たな息吹なんだ。
今回の鼓舞で、僕の山車が登場した。
なんて嬉しいことなんだろう。
地元の芸能「だけ」で行われたはずのお祭りに、僕らが参加させてもらった。
スペシャルゲストとしてだが、同じ舞台に立つことが出来たのだ。
上山さんは言う。
「雄勝には神輿はあったけど山車はなかった。雄勝の祭りの新たな一ページには山車がふさわしいんじゃないかな」
俺の山車は奇しくも2011年3月11日に完成した。
朝5時。前の日徹夜で仲間と山車を完成させたのを覚えている。
完成して仲間と刻んだ。
なつかしい。こんなものが残っていた。

差し替えた欄干の柱だ。
山車が完成して、仲間達と山車の上に飛び乗って、そのまま空を見た。
夜明けだった。
そんな思い出がある。
家へ帰って、もう一度山車を見に来た。
14時46分。
大地震が起きた。
3月13日に予定されていたお祭りは中止になり、山車はお蔵入りとなった。
そう考えると、ずっと眠っていたこの山車は鼓舞のためにずっと力を蓄えていたような気がする。
この山車はあれだけのエネルギーで産み出されたにも関わらず邪険にされ、陽の目を見ることはなかった。
あれから2年と半年が経った。やっと!やっと!
思い描く最高の舞台へ。俺の山車は出発する。
いつものしげきさんのトラックに乗って・・・・
いざ、雄勝へと!
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- 2013/09/05(木) 22:47:21|
- 鼓舞 おがつ秋の芸祭
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| トラックバック:0
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| コメント:2
Nshimaさん、コメントありがとうございます。
お祭りが産む人間のドラマは、いつも感動的で、グッとくることばかりです。
今回の物語も素晴らしすぎるものでした。
いつかどこかの祭り場で出会える日を楽しみにしています。
お祭りの力を、信じてよかった。
- 2013/09/08(日) 02:53:38 |
- URL |
- 明日襷 アシタスキ #-
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