先駆村/明日襷-asitaski-/日本の祭り [宮城県石巻市雄勝地区雄勝] 復興商店街たなこや御輿

先駆村/明日襷-asitaski-/日本の祭り

僕らが未来へ残していける風景を考え、学ぶ。明日へつなぐ僕らの襷。明日がもっと好きになる。アシタスキ。日本の祭りや文化,人々を動画や写真,文章で紹介していきます。

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雄勝神輿 一周年祭 

 
あれから一年が経った。


雄勝に神輿が来た日。

雄勝町復興商店街、たなこ屋街。一年前まだ生まれたばかりだった。


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忘れもしない、一年前。

僕は最後の最後まで作業を続け深夜0時に仲間達と出発する。


神輿を軽トラックの荷台に乗せ、3台の車は走り出す。

夜通し走り続けて僕はたなこ屋に到着したのだった。


あの瞬間は忘れない。

初めてのたなこ屋、そこで出会った仲間達の姿。


じいちゃんの死を乗り越え、たくさんの人の思いを背負ってやっと完成させた神輿。

そう、あれから一年が経つのだ。



また、出発は深夜0時。

軽トラック。

何も変わっていないようで、色んなことが変化している。


得たこともあれば失ったこともある。


しかし間違いなく一年、経ったのだった。

たくさんの思い出が駆け巡る。

神輿にはたくさんの人の思いが乗っている。



そんな神輿が、もう一度上がるのだ。雄勝という地で。

何度も走った常磐、磐越、東北、三陸道へのルート。

もう地図を見ないでもたどり着ける場所。

待っててくれる人がいる場所。


ふと、疑問に思うこともある。

僕は何をやっているのか。

本当に意味のあることなのか。

僕自身に価値はあるのか。


だけどここに帰ってくると、思う。

人と違ってもいい。それが僕自身だ、と。


これで雄勝で神輿を上げるのは三回目になる。

毎回少しづつ神輿自体を改造していく。

何ぶん最初の段階で4ヶ月しかなくしかもじいさんが途中で亡くなったという大きすぎるトラブルがあったため

神輿は未完成なのだ。



上げるたびに少しずつ改良していく。育てる楽しみがあるのもこの神輿の楽しみである。

また材料が恐ろしく古い分毎回少しづつ修正していかなければならない。


でもそれは間違いなく新山神社の材を使った神輿であり、もはや がれき ではない。

思いの力だ。


また、神輿は上がる。例のごとく最初はうまくいかない。

調子を合わせるのは難しい。会場もなかなか盛り上がらない。

神輿と会場は分離したままだ。

それを合わせるのは僕の役目。神輿、担ぎ手、会場。

すべてを感じながら動かしていかなければいけない。

僕はここに元気を届けたい。

そのために、最高にかっこいい神輿を、現地の人と作り出す。

難しい作業だ。


一日目が終わって一年ぶりの感覚を仲間と共有する。

みんな生き生きしていた。

はじめて会う人たちもいた。

出会いがあり別れがあるなかで、この神輿が多くの人の心に刻まれていってほしい。


一年前初めてあった仲間が本当に素敵な仲間になっていることに気づいた。

僕にとっては欠かせない仲間。

大きな大きな感謝の気持ちを持って、あたたかな雰囲気に僕は包まれていた。


祭りの朝は早い。

まだ朝もやが覚めない頃僕たちは会場へ向かう。

快晴。

風は少し、強い。


僕は神輿の綱を締め直して、一周年の神輿のクライマックスをひとり誓っていた。


一年前よりもっとたくさんの人がいる。

筑波桐睦会、小田獅子保存獅友会、つくば神輿連合、京島三睦。

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応援に駆けつけた半纏だけでも色とりどりだ。


いつか雄勝の神輿の半纏も、と夢見ている。


この日はテレビの撮影が入るらしく、人も大勢だ。


神輿はその真ん中を駆け抜ける。

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はるな愛、ハリセンボン、サンドウィッチマンといった有名人も俺の神輿を担ぐ。

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しかし神輿に入ったら全員同じ立場だ。全力で取り組まないんなら怒声を浴びる。


声出せ!しっかりやれよ!!


全員が全力だ。

混沌としたなか、担ぎ手の必死な顔が見えてくる。

調子もしっかり合って来た。

芸能人に気を取られていた会場のお客さんも神輿に目を移し始める。


僕は一番前で馬に立った。

僕が着ているのは 感謝 の字と雄勝の人のたくさんのメッセージが書かれた白半纏だ。

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僕は町の思いを、友情を背負ってここに立っている。


宮入り。


本当のクライマックスだ。

僕を目指して神輿とみんなの気持ちが向かってくる。

気と気がぶつかる。

でも負けられない。

会場、神輿、担ぎ手、僕。すべてがひとつになるまで何度でもやり直す。

一年に一度、最高の瞬間に持っていかなければいけない。

終わった後、また来たいと思ってもらわなければいけない。

ずっとずっと守っていきたいと思ってもらわなければいけない・・・。

僕の出来る精一杯をぶつけた。みんなも僕に精一杯をぶつけてくれた。


神輿が入って、下ろすまでみんな本当に真剣だ。

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下ろした後、抱き合いながら最高の笑顔になるみんな。抱き合う現地の人達。

僕は最高だった。

生きていた。


いつも思う。

神輿は一人じゃ上がらない。

たくさんの人のたくさんの思いで、神輿を守っていきたい。

難しいことは出来ないけれど。

それが僕の純粋な思いです。


また雄勝で神輿が上がりますように。。。

最高のみんなと一緒に。

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  1. 2012/12/21(金) 16:49:38|
  2. [宮城県石巻市雄勝地区雄勝] 復興商店街たなこや御輿
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雄勝「絆」神輿物語

どこから書くのがいいのだろうか。


この物語の一番最初は。




今回の出来事は本当に僕の周りのたくさんの出来事が一つに集約し起こせた奇跡だった。

神輿、災害支援、じいちゃん、たくさんの仲間。



少し長くなるが、地震が起きてからあの日、決心して自転車のペダルをこぎ始めた時から書き始めることにする。




3月11日、東日本大震災が起きた。


それから僕は、何かしたい、しなければ!その思いでいっぱいで一度故郷である横浜に帰ったものの、すぐつくばに戻り自転車で宮城へと出発した。



100㎏を優に超える荷物を自転車に積み


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何の当てもなくただ行けば必ず何かできる、そう信じてペダルをこぎ続け、茨城県北、福島、仙台に立ち寄りなが

らちょうど一週間かけて宮城県南三陸町へと辿り着く。






それから様々な支援を行った。

初めボランティアセンターに所属し割り振られる仕事をただこなすだけだったがまだ機能しきらないボランティアセンターに満足できず、自ら避難所をまわり何かできませんか?とニーズを探した。




そこで辿り着いたのが入谷小学校という避難所だ。

図1


約40世帯、100人以上が体育館に避難していた。


そこで僕が一番最初に行ったのは机の製作である。

木工の技術と40種類以上の道具を積んでいったおかげで廃材を利用し簡単に作ることができた。

避難所では学校のものを借りているため数や大きさの融通が利かない。

そのためそこにあるもので作れる僕の技術は重宝された。


図2
図3
図4




最終的には机、流し台、長椅子、本棚、さらには洗濯小屋や倉庫、ブランコ、滑り台までも作った。

いつしか避難所の方々にも受け入れられ、家族のようになった。

避難所の子供と毎日サッカーをしたり、釣りに行ったり、家があった場所で思い出を探したり、夜になると薪ストーブを囲んで遅くまで語り合ったり・・・。

しかしいつまでもそんな生活はつづかない。





二次避難で仲の良かった家族が別の避難所へ移り、さらに避難所の統廃合が行われると当然のように僕の居場所はなくなった。


                  

                   明日から避難所を出てください。




もちろんそれが本来の姿であり何の文句も言えない。


僕は次の日荷物をまとめ避難所を後にする。





その頃になると僕のことを応援してくれていた企業や仲間からの救援物資で荷物もかなり増えていた。

道具だけではなく食べ物、衣料などだ。

もちろん自転車では積みきれなかったが非常に幸運なことに軽トラックの支援も受けていた。

企業からの貸与という形だったが僕が管理していたので引っ越しは比較的楽に出来た。





それから避難所常駐、つきっきりという形の支援ではなくなる。

もちろん南三陸町での支援は続いたが、例えば全壊ではなく半壊になった家はなかなか遠慮してボランティアセン
ターへのニーズ申請をしないので手が足りなくなっていた。

そういった場所でお年寄りにはきつい荷物の移動や使えなくなった小屋などの解体を行うことはできた。

また津波をかぶった寺の木を伐ったり東京で仲間が発足したボランティア団体の斡旋なども行うようになる。


図5



そういえば4月中頃だっただろうか。

たまたま仙台でボランティアをしていた時に出会った女性から電話がかかってきた。

彼女は仙台でボランティアをした後一度東京へ帰り仲間を集め新しく団体を立ち上げるという。

舞台は石巻牡鹿半島。

少し離れた場所だったが支援者同士、互いに連携していくことを約束した。




それからは何度か実際に人員や救援物資を送ってもらったりと、かなり協力してもらった。
少しづつ関係を築き、6月。 
 






                    神輿を作ってほしい。







そう頼まれた。

僕の祖父は横浜でかつて神輿を作っていた。

僕自身も真似して学校で簡単な神輿を作り、披露したことがあった。

もう作ることをやめて何年も経つがどうにか作って欲しいらしい。

即答できなかったがとにかく様子をみるのと話を聞くため一度現地に行くことに。




そのころ彼女(中川千鶴さん以下千鶴さん)の団体はトモノテという名前になり活動場所も牡鹿に加え雄勝に広がっていた。

そして千鶴さんと仮設市役所になっている元・老人ホームで再会。

地元雄勝町震災復興まちづくり協議会の高橋頼雄さんを紹介される。

頼雄さんは(有)高橋頼母硯店代表取締役。

震災により硯の工場は全て流されてしまった。

僕は頼雄さんと二人軽トラックに乗り、壊れた神輿を見せてもらいに行った。



図4




津波により大きな被害があった雄勝小学校軒下。

土台から真二つに割れ、ぼろぼろになった神輿がそこにはあった。

かつてこの神輿は街を巡り、無形文化財となっている雄勝法印神楽とともに新山神社に奉納されていたという。

その新山神社、小学校のすぐ上にあったのだが、神社につづく階段は根こそぎ飲み込まれ、神社のあったところに上がるには崖沿いに行くしかない。




そこにもたくさんのがれきがあり、足場はかなり悪い。

頼雄さんとともに長いバールを一本持ち、その崖を登って行った。



崖を上がるとあまりに悲惨な状況に絶句した。

神社は完全に倒壊、屋根からひっくり返り高台だったからだろうか、設置されていた鉄製のフェンスに引っ掛かっていた。

頼雄さんは是非この神社の材料を使い、神輿を作ってほしいという。津波の記憶を世代を超えて語り継ぐために。もう一度お祭りをするために。




僕は頼雄さんと文字通りがれきの中から材料を探し、軽トラックまで持っていく。

材自体があまりに重いため崖の上から下ろしていくのも一苦労だ。

たくさんの材の中から、使えるのはケヤキ材のみ。

ケヤキ材は思ったより少なかった。




「ここの神社は一度建て替えたんだ。昔はもうちょっと高台にあったんだけどね、なぜだか今のところへ移築したんだよ。」



その移築がなければ、もしかしたら神社は無事だったのかもしれない。


それから僕が南三陸町まで一度その材を持って帰ってくる間、頼雄さんにの言葉が頭をよぎった。



「雄勝の硯ってのはさ、400年も続いてきたんだよ。その間色んなことがあったに違いない。だから、今度もこんな津波で負けちゃあいけないんだよ。」




伝統とはそういうことだ。




今ここに守らなきゃいけないものがある。

命がけで守ってきたたくさんの思いがある。

だからこそやらなきゃいけないんだ。




そんな頼雄さんの思いとじいちゃんの神輿への思いを重ねながら僕はひとり軽トラックで三陸道を走っていた。





守るってのはどういうことか。

つなぐってのはどういうことか。

絆って何か。


やるしかない。



それから僕はオーストラリアへ行った。
その経緯は RunforJAPANinGC にて。


僕は帰って来た。

神輿を作るために。


復興支援は終わらない。

やり残したこともたくさんある。

だけど、僕にしかできない復興支援。

それが、神輿だった。



神輿をやるってのはただ作ればいいってわけじゃない。

材木の加工ではないのだ。


神輿出来たよ、はい、あげるね。

では済まされない。


それこそ人生かけて一生付き合っていく覚悟が必要だ。



神輿はひとりじゃ上がらない。



そこに神輿の本当の意味、そして魅力がある。


加工は大変なことも多かった。

まず材が古すぎる。

何百年も経っているからだろうか、材が乾ききっていて簡単に割れてしまう。

これでは普通の方法での加工は難しい。

何度も失敗しながら手探りでやって行くしかなかった。

そして何より頼りにしていたじいちゃんの体調が震災後帰って来てから急激に悪化に向かい、歩くのも大変になっていたのだ。



じいちゃんは手を動かせない。

やるのは俺一人だ。


作業場は筑波大学構内某所。

夜になると投光器を二つ付け、真っ暗やみの中作業をしていた。

ほとんど一人きりの作業。

寒くても、寂しくても、やるしかなかった。

しかし辛くはなかった。

実際に少しづつ出来あがっていくのはとてもうれしく、楽しかった。

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製作の途中、学園祭や横浜の実家のお神輿もあった。

2010年の学園祭で神輿があがり、じいちゃんに来てもらった<記事>は素敵な思い出だ。


また今年も神輿は上がった。
これも守っていかなきゃいけない神輿のひとつだ。

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でも今年はじいちゃんに見てもらうことは出来なかった。
もうじいちゃんは歩けなかった。

実家のお神輿でもじいちゃんはもう茶木をもつことは出来ず、最初と途中だけ少し顔を出しただけだった。

嬉しそうにしていた姿は忘れない。


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じいちゃんは死んだ。

あまりに突然、静かになくなった。

朝起きるとじいちゃんは倒れてた。

最後の姿だった。


じいちゃんはすごいなあ。

あんなにおっきくてたくさんの人に感動をあたえるお神輿を40年以上守ってきたんだ。

今でも毎年たくさんの人が来てくれて、たくさんの人に愛されて。

それを僕も守っていきたい。

簡単にもう出来ないなんて言わないで。

じいちゃんが人生をかけて来たの知ってるでしょ?

お神輿作るのどれだけ大変かわかるでしょ?




お神輿は僕が守ります。

いや、僕だけじゃ守れないから。

僕と、みんなで。



みんな、守りたい、続けたい、そう思ってくれれば必ず続くし必ず次につながる。

そうやって文化は作られてきたはずなんだ。

雄勝にも、もう一度。



雄勝は久しぶりだった。

正直神輿を作り始めてからは一度も行っていない。

千鶴さんや頼雄さんはちっとも変わってなくて、それは嬉しかった。

でも変わっていないのは街も同じ。

何が出来ているわけでもなく、何もないまま。

真っ暗なまま。


このお祭りはただのお祭りじゃない。

仮設商店街のオープニングイベント。


全ての はじまり。



そこにお神輿があるのは本当に光栄なことだ。


たくさんの人の思いが集まる。

担ぎ手は地元の方々。

そして震災後ずっと雄勝町を支え続けてきたボランティア、LOMのみんなだ。

神輿には 絆 の一文字。

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それが上がる風景は、雄勝町の活力になるはずだ。

そう信じ、神輿を組み立てていく。


4か月かけて作った神輿。

たくさんの思いが詰まった神輿。

それがついに、上がるんだ。

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みんなみんな、泣いていた。

悲しくてじゃない。

嬉しくて。

嬉し涙でこの街はもう一度スタートを切れる。


たくさんの人の喜びが神輿を上げた。


必ずまた上がる。

ずっとずっと、いつまでも切れない絆となるはずだ。


僕もずっとずっと上げていきたい。

このお神輿を。

守り、育てる。



みんなで。


そう、神輿はひとりじゃ上がらないんだ。








雄勝「絆」神輿MOVIE

  1. 2011/12/07(水) 01:29:14|
  2. [宮城県石巻市雄勝地区雄勝] 復興商店街たなこや御輿
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雄勝神輿再興プロジェクト 

11/19,20日、宮城県石巻市雄勝町にてお祭りが行われます。

図4


雄勝写真4



以下概要です。








「おがつ店こ屋街開店記念イベント・おがつ復興市」開催概要について

【背景及び目的】

雄勝地区は東日本大震災により平成23年2月末で人口4 300人、7月5日現在、死亡者123名、行方不明者113名という人的被害がありました。

又、津波により自宅を流出された等の理由により地区外へ転出されている住民が多く、現在雄勝地区で生活する住民は1000名以下という状況にあります。

正に壊滅的な被害を受けた雄勝地区は、公共施設、学校、病院、商店、地域コミュニティ、家族の団欒・・・日常を形成していた全てと言っても過言ではないものを失いました。

地域経済の再生、地元住民が元の生活に戻り安心して暮らせる街づくりと地域産業の復興を図ることを目的として平成23年5月におがつ復興市実行委員会が地元の商、工、漁業者の有志により組織され、平成23年5月、7月、8月と過去3回「おがつ復興市」を開催致しました。

今回開催予定のイベントは、8月より着工が進められてきた仮設店舗、事務所のオープニングイベントと連動しておがつ復興市を開催し、雄勝にも商店が戻り復興へ確かな歩みを進めている事を雄勝地区住民はもとより、広く全国にPRし、雄勝の復活に繋げるものです。


【開催概要】
■催事名称「おがつ店こ屋街オープニングイベント・おがつ復興市」
■開催日時平成23年11月19日(土)午前10時~午後4時
平成24年11月20日(日)午前10時~午後4時
■開催場所旧石巻市役所雄勝総合支所前
■主 催おがつ復興市実行委員会、おがつ店こ屋共栄会
■出店者数25店舗(予定)


参考
第1回、第2回のおがつ復興市の様子がご覧いただけます。
,
http://japan.311tohoku.com/kahoku/home



ここで現在製作中のお神輿が上がります。

この神輿は、3月11日の東日本大震災により被災し全壊した雄勝町新山神社の材料を使い地元雄勝震災復興まちづくり協議会から依頼され製作を開始したものです。
放っておけばがれきとして処理されてしまう材木(ケヤキ材)を神輿という形で津波の記憶と祭りの復興を目的に作りなおすものです。


製作者 藤原宣也(筑波大学大学院2年 24歳)は神輿製作技術を持つ祖父と協力し7月から神輿の製作を開始しました。
しかし10/19、祖父が他界してしまったため祖父の遺志を継ぎ一人神輿製作を続行する決心をしました。



今回の神輿は仮設商店街のオープンイベントで上がるということで万灯神輿の形をとり、商店街の店舗の名前が刻まれたちょうちん、そして協賛していただいた企業の名前が掲げられます。




神輿製作の様子はfacebook上で公開されています。

http://www.facebook.com/ogatsumikosi




町は若者も少なく、担ぎ手も少なくなっています。
今回は東京からのボランティア、関係者を中心に担ぎ手が構成されています。



また、当日着るための神輿衣装が不足しているため神輿衣装(ダボシャツ、鯉口シャツ、股引、祭り足袋、雪駄など)の寄付をお願いしています。
もし頂ける方いましたら

blackleopard04sあっとまーくgmail.com

までご連絡ください。

当日現地の神輿衣装とさせていただきます。


さらに神輿製作時に出た端材を利用した木札、キーホルダー、ストラップ(一律1000円)を販売しています。
売上は神輿製作費、祭り運営費に当てさせて頂きます。





今回の神輿は被災地の復興を願ったものです。

僕は祖父に相談しましたが具合が悪く、神輿製作をやめてから長くたつ祖父は最初自分が作るのは無理だと言いました。

しかし僕が作り始めるとだんだんと協力してくれるようになりました。

わからないところは祖父に相談し実際に手を動かすのは僕でした。


僕は祖父に憧れ祖父に神輿の楽しさを教わり神輿を通してたくさんの友人や仲間を得ました。

僕にとって毎年上がる祖父の作品である神輿は宝物です。

今年のお祭りも歩く事も困難だった祖父は拍子木を持つことはできませんでしたが様子を見に来ていました。


いつも苦しそうにしていた祖父があの日笑顔だったことを僕は忘れません。

小さいころ生き別れ、5年前再会するも2年で父を亡くした僕にとっていつも祖父は僕の父親代わりでした。

祖父は間違いなくこの世で一番僕を愛していてくれたと思います。

僕もそうでした。



祖父がいなくなった事実を未だ受け止めきれていません。

その祖父の最後の思いがつまった神輿。

正直僕の腕は未熟で不安ばかりですが全力を尽くしやり遂げます。


祖父と僕の思いを是非見守っていてください。
  1. 2011/11/08(火) 00:17:44|
  2. [宮城県石巻市雄勝地区雄勝] 復興商店街たなこや御輿
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友情、絆、縁、友達、ふるさと。

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